早くもセカンドアルバム制作へ突入
1990年1月23日、六本木マグネットスタジオで
早くもセカンド・アルバムのレコーディングを開始。
この時録ったのは、
Haircut100
Southbound excursion
恋とマシンガン
Hello(インスト・ヴァージョン)
Papa-boy&I(Cludyの英語詞バージョン:未発表)
さらに、この後フリッパーズの2人はレコーディングのためにイギリスへ。
牧村
「2人になったフリッパーズでは、洋楽のレベルでの
ワールド同時・同格ということが目的の上でも重要だったんで、
そこで英国でやらないかと提案しました。
フリッパーズはすぐにエル・レーベルやアズテック・カメラ周りの
ミュージシャンと一緒にしたいと言いました。
エルは非常に小さい趣味的なレーベルですから
主要なミュージシャンをすぐ捕まえることが出来ました。」
結果的になかなかのヒット作品となるこのカメラトークは、
「1990年時点での、ネオアコ・シーンの日英の共同制作盤みたいなもので、
これがネオアコやギター・ポップという、どちらかと言えば
まだマイナーだった音楽ジャンルを結果としては表へ押し出した」(牧村)
・・・と言えます。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿