初期メンバーの脱退




1989年8月、デビューアルバム発売直前に小山田が交通事故で入院。
友人の車に乗車中、トラックに追突され全治6ヶ月の重傷を負う。

「潰れた車の状態なんかを聞くと、生きているのが不思議なくらい」
だったそうです。

そしてメンバーは小沢と小山田の2人に。


数年後、当時を振り返った小山田は次のように語っている。

小山田
「最初ほんと『解散しようかな』って言ってたんだけど。
その頃は『レコード出してラッキー』みたいな感じで。
僕は入院してて関係ないんだけどさ、残された人たちの間では
何かこうぐしゃぐしゃあったんだよね。

病院に小沢が来て『あいつらはこうで……』 とか言ってさ(笑)。
それで残りの人が来て『あいつはああなんだよ』 とか言って。
一応、僕が仕切ってきた人間だから
『俺そういうのやだから、もうやめよう』とか言ってたんだけど」
(ROCKIN' ON JAPAN 1994年1月号)

また、別のインタビュで小沢はこう語っている。

小沢
「乱入っていうつもりはなく、『お手伝いしますよ』って気持ちなんだけど、
小山田がせっかく仕切ってるとこに入ってきてヘンにしちゃってる
っていう風に元から居た人たちには見えたんじゃないかな」
(ROCKIN' ON JAPAN 1994年4月号)


小山田
「でも、よく考えたら僕はやりたいようにやりゃいいんだっていうか、
僕がこういうことを続けてくのに必要な人間っていうのは
小沢だなって思ったんだよね。

こういう音楽を作るんだったら小沢と一緒にやるのが楽しいから
だから、ほんとは1回解散して小沢と新しくバンドを
組んだみたいなもんなんだけどね」
(同上、1月号)

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