フリッパーズはファーストアルバムの段階では5人組のいちアマチュアバンドがデビューしたに過ぎなかったようですが、紆余曲折があり小沢と小山田だけのユニットになり、周囲が面白くなりそうな予感したからなのか、フリッパーズの音楽を信じた人たちが進めた一つのプロジェクトのようだったようです。
フリッパーズの音の部分を作ってくれた偉大なプロデューサー吉田仁さんは「こういう雰囲気を出すにはどうしたらいいんすかね? みたいに相談されていた」という。
デザインはコンテンポラリープロダクション(C.T.P.P.)というデザイン事務所の信藤三雄さんがバックアップ。
そして、なんかの本では「M氏」として登場していた、音楽プロデューサー牧村憲一さんが、プロジェクトのボス。
どんな人かというと、、、大瀧詠一、山下達郎、初期ピチカートなどを手掛けたディレクターで、ポリスターレコードにおいてフリッパーズの生みの親と言われる重要人物である。
もう少し調べようと思って検索したら「まとめ」もありましたのでこちらもご覧ください。
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