フリッパーズの分母宣言




大滝詠一が1983年に唱えた「分母分子論」というのがある。

「分母分子論」の概要
1、明治以来、日本の音楽(日本史)の歴史はすべて洋楽(世界史)からの輸入だった。
  つまり『世界史』を分母としていた。(=洋楽の影響を受けてい)

2、しかし時代とともに、世界史がカッコ付きとなり、(=洋楽からの影響が希薄になり)

3、世界史(洋楽)は、地面の下に隠れ、その世界史を分母としていた日本史(※1)が、
  さらに日本史(※2)の分母になるという三重構造が生まれた。
 (=邦楽だけ聴いて音楽を作る日本人の出現)


小山田「ぼくらの場合はシンプルだな。間違いなく世界史分の日本史だもん」

小沢「ぼくらの上に日本史が乗っかり始めてるような気もするけど」

小山田「でも絶対になると思うよ、これから。自信はある」


牧村氏
「(彼らは洋楽的なものを)あまりにもよく知っているんで、
逆に疑われた部分もありましたよ。
何でこの世代がこんな古いものを知ってるのか?とか、

後から付けた都合の良い演出じゃないのか?とか、
聴いてないのに聴いたふりしてるんじゃないの?とか、
そういった誤解が生じるくらいよく知ってましたよ。

例えばバート・バカラック、僕はリアル・タイムで聴いている世代です。
でもフリッパーズは、アズテック・カメラ経由で
バート・バカラックに辿り着いているということが、
僕にはすごく面白くて新鮮でね」


「日本のポップ、ロックは最初は洋楽の模倣から始めるけれど、
きちっと洋楽を聴くこと、知ることによって模倣ではなくなってくる。
模倣ではなくなった時に、果たしてオリジナルを乗り越えられるかどうかまでは
分からないけれど、並立することは出来るだろう。」

「1stと2ndでは違うアプローチでありながら、
クオリティを失うどころかさらに、日本の洋楽市場へも影響を与える
ものすごく意味のあるアルバムになったということです。
これで小沢君と小山田君が持っていた音楽知識と資質の埋蔵量を
遺憾なく発揮する、ということになったんです」


こういった、洋楽リスナーでも聞けるというポイントが後の渋谷系のベースになった部分だと思います。

ブログを更新したらつぶやきます
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