フリッパーズの解散に対して:読売新聞「プロ意識を欠く行為」


予定していたツアーを残して解散したフリッパーズに
対しての「読売新聞社」のコメントは以下

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ポップデュオのフリッパーズ・ギターが全国公演を前に突然解散した。
料金の払い戻しているが、ミュージシャンとしては無責任な行為だ。

フリッパーズは、二十代前半の男性で中学の同級生。
二年前にデビューし、三枚のアルバムを発表している。
ネオ・アクースティックの流れをくむ
洗練されたポップスで熱狂的ファンを持つ。

今回の公演は十九日から五都市八回の予定で、切符はすぐに売り切れた。
初の本格的ツアーに、期待していた人も多いという。

彼らが所属するポリスターレコードなどの話を総合すると、
異例の解散の理由は「二人の仲たがい」らしい。
それも、音楽的対立というより「感情のもつれ」という見方が強い。

二人については、以前から態度面で好ましくない声を聞いた。
ある関係者は「本人たちは、音楽好きがたまたま有名になったという感じで、
プロの自覚に欠けていた。甘やかしすぎた」と反省してる。

音楽的にはいいものを持っていただけに残念だが、
二人には最近の若者に見られるおごりと、社会に対する甘えがあったのではないか?

(読売新聞1991年11月19日夕刊より)
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解散に対する反応

小野島大(1991年当時) ※音楽ライター
「今後の彼らがどうするつもりなのかは知りませんが、
たとえ各々の音楽活動が続いてもフリッパーズ以上のものが
出来る可能性は少ないように思います」

時代や環境、彼らの若さを考えると当然の意見ですね。
でも何よりも、小沢と小山田というそれぞれ後に
ソロで活躍する才能が二人いたフリッパーズは、奇跡的な存在だったんですね。


渡辺亨(1991年当時) ※音楽ライター
「YMO以来かなとも思いますが、そこまで言い切ってしまうには
過大評価かもしれないな。彼らの遺したものが
(YMOのように)後の時代に影響するかどうかは分からないから」

世代的な意見になってしまうかもしれませんが、
ギターがアンサンブルの中心というバンド形式もあり、
国内においてはYMOよりも大きな爪痕を残したような気がします。
渡辺さんはいまはどう思っているのでしょうか?


石野卓球(1991年当時) ※電気グルーヴ
「バンドなんて、結成したときから解散に向かって
活動しているようなもんだからね。
続けることに意義を持ってもしょうがない。
それにしても売れなくってから辞めるのと違って、
今の状態でやめるのはかっこいいなぁ・・・かっこいい。
うちも解散しようかな(笑」


渋谷陽一 ※「ロッキング・オン」を創った人
「僕たちの世代はロックの歴史的遺産がまだなかったから、
洋楽からしか学びようがなかった。
でも現在のアーティストは日本のロックからの影響が大きいわけです。
そんな中彼らのように洋楽の強い影響下にあったアーティストは異色でしたね。
僕らの世代のアイデンティティに近かったんじゃないかな」


吉田仁(フリッパーズのサウンド面のプロデューサー)
「ある日、小沢が珍しく『明日のライブは絶対に来てください』って
電話してきたんだけど、思えば最後の雄姿を見て欲しかったんだろうね。
そのすぐ後だったからね、解散が伝えられたのって。
ただ、残念ながら僕は台風に遭って新幹線がストップしちゃったから
地方から戻れなくてそのライブは見られなかったんだけど」


牧村氏(フリッパーズプロジェクトのボス)
「よく考えると最初からこう発言していたんだ。
『嫌になったらやめる。やることがなくなったらやめる』って。
そもそも解散が前提のプロジェクトだったんだよ。
そう考えるのが正しいと今でも思っているよ。」

ブログを更新したらつぶやきます
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